POSITION
約15年ぶり※の分譲。
住環境が整う代官町に
待望のレジデンスが誕生。
現地周辺航空写真
閑静な海沿いの別荘地として、多くの著名人に愛された平塚・代官町。現在も良好な住環境に恵まれた「平塚」駅南口徒歩5分の地に、約15年ぶり※となる新築分譲マンションが誕生します。平塚を知り、平塚を愛す人の心に響くレジデンスでの日々が、今始まります。
この10年間(2013年4月~2023年3月)
に「平塚」駅南口で
分譲された
新築マンションは6件。
その中で駅徒歩5分以内の
物件はありません。
※平塚駅南口徒歩5分内で最後に分譲があったのは2008年5月。(有)エム・アール・シー調べ(2023年3月)
現地周辺航空写真
東海道の要所・平塚。
「活気」と「平穏」が同居する、成熟した街並み。
東海道五十三次七番目の宿場町・平塚。交通の要所として賑わったこの地には、古くから利便性に富んだ街並みが形成されていました。また東海道から少し離れた海側の地域は、明治・大正の著名人が居を構えた閑静な住宅地。現在でも治安が良く、良好な住環境が保たれています。
明治・大正の著名人に
愛された別荘地。
美しい景観と静かな環境に
癒される場所。
平塚ののどかな海沿いの地には、多くの富裕層や著名人が別荘地に選んだ閑静な住宅街が形成されています。美しい景観と静かな環境に身をゆだね、ゆったりと流れる時を愉しむ場所として、愛され続けた歴史があります。
東海道五十三次 平塚 縄手道
平塚宿江戸方見附跡(徒歩16分・約1,280m)
江戸幕府により整備された五街道の一つである東海道の要衝として、平塚には日本橋から数えて7番目の宿場町が形成されていました。旅人や商人の宿泊施設や飲食店、商店などが立ち並び、活気ある街の営みが繰り広げられていました。
穏やかな海辺の別荘地として、平塚には多くの文化人が居を構えました。明治・大正時代の人気作家・村井弦斎、日立製作所の創業者・小平浪平などがこの地に魅入られ、安住の地として選びました。
村井弦斎公園(徒歩9分・約680m)
村井弦斎は、1904年から63歳で死去するまでの23年間、代官町に隣接する八重咲町に16,000坪を超える広大な邸宅を構えて暮らしていました。現在その跡地は「村井弦斎公園」として整備され、夏には遺徳を偲ぶ行事として「村井弦斎まつり」が開催されています。
桃花公園(徒歩20分・約1,530m)
生涯に60編を越える小説を書き、明治・大正期には「当世第一」と謳われた人気作家・村井弦斎。代表作「食道楽」は、当時の日本人の食に対する考え方を変えたとされるほどの話題作となりました。加えて、夏目漱石に絶賛されベストセラーとなった小説「銀の匙」を書いた中勘助、「無弦弓」「塔影」などの詩集を刊行した河井醉茗、文芸評論家として明治中期の言論を先導した高山樗牛などが、平塚を別荘地・療養地として選びました。豊かな想像力を刺激する美しい風景や空気感も、文人たちに愛された平塚の魅力でもあります。
村井弦斎公園(徒歩9分・約680m)
村井弦斎の死後は、政治家・河野一郎や日立製作所創業者・小平浪平が村井邸の一部を購入し別荘を建築。当時の政財界をリードした二人は海辺の穏やかな邸宅で、明日の日本の構想を描きました。
現地周辺の街並み(徒歩12分/約940m)
さらに住み良い街を目指した
景観整備が加速。
街並みの保全を目的に、平塚市では景観整備が進められています。計画には平塚宿の歴史を感じさせる自然素材の活用、高麗山の眺望を演出する無電柱化、休憩スペースの充実などが盛り込まれ、さらに住み良い街づくりが加速しています。
現地周辺の街並み(徒歩1分/約40m)
開放的な三方角地に誕生する
プラウド湘南平塚。
プラウド湘南平塚が誕生するのは、三方角の恵まれた敷地。南西面の道路は電柱が地中化され、南東側の道路には美しい並木道が整備されています。周辺は低層住宅が多いため開放感があり、駅徒歩5分のフラットアプローチによる交通利便と心地よい環境を、ともに享受することができます。
外観完成予想CG